日電協の歩み(関連事象を含む)

遊技業界の動き
2017
(平成29年)
6 第37回通常総会開催、第8代佐野理事長再任
3 (株)中京遊技、組合を脱退
2016
(平成28年)
7 日電協・回胴遊商業界誌記者クラブ発足
6 第14回「回胴式遊技機製造業者連絡会議」開催(オーラム)
6 第36回通常総会開催
4 「製造業者遊技機流通健全化要綱」及び
「遊技機製造業者の業務委託に関する規程」 の施行
3 (株)SNKプレイモア、組合を脱退
3 第13回「回胴式遊技機製造業者連絡会議」開催(東天紅)
2015
(平成27年)
12 (株)ジェイピーエス、組合を脱退
10 全国防犯協会連合会への寄付金贈呈に対して紺綬褒章を受章
7 第12回「回胴式遊技機製造業者連絡会議」開催(パレスホテル東京)
6 日遊協に団体加盟
6 第35回通常総会開催、第8代目理事長に佐野慎一が就任
4 第11回「回胴式遊技機製造業者連絡会議」開催(パレスホテル東京)
3 (株)ユニバーサルエンターテインメント、組合を脱退
2014
(平成26年)
6 第10回「回胴式遊技機製造業者連絡会」開催(パレスホテル東京)
6 第34回通常総会開催
3 (株)ラスター、組合を脱退
2 全国防犯協会連合会への寄付金贈呈に対して紺綬褒章を受章
2013
(平成25年)
10 (株)藤興、平成23年3月末日付、組合を脱退
9 第9回「回胴式遊技機製造業者連絡会」開催(東京會館)
6 第33回通常総会開催、第7代里見理事長再任
3 (株)トリビー、組合を脱退
2 全国防犯協会連合会への寄付金贈呈に対して褒状(紺綬)を受章
2012
(平成24年)
12 特許庁による遊技機特許に関する研修会開催 
8 第8回「回胴式遊技機製造業者連絡会」開催(東京會館)
7 (株)エンターライズが新しく組合に
3 ニイガタ電子精機(株)、組合を脱退
3 組合員海外研修(シンガポール、マカオ)

組合員海外研修(シンガポール、マカオ)

組合員海外研修(シンガポール、マカオ) カジノの誘致構想が問議され、また国会議員からもカジノの合法化に向けた動きが見られるなか、アジアにおけるカジノセンターの成功事例であるシンガポール、マカオの経営者等と営業実態について情報交換を行うとともに、施設、ゲーム配置、導入機種、セキュリティーなどに対する実査を行いました

2 第7回「回胴式遊技機製造業者連絡会」開催(日電協会議室)
2011
(平成23年)
11 日電協事務所を東京都台東区東上野4-8-1 TIXTOWER UENO 9階に移転
10 第6回「回胴式遊技機製造業者連絡会」開催(ホテルパークサイド)
7 DAXEL(株)が新しく組合に
6 日電協7代目理事長 里見 治が再任
3~12 東日本大震災復興支援活動
2010
(平成22年)
12 「パチボー・スロタン」の図形が特許庁で商標登録
11 「日電協創立30周年記念式典」開催(東京會舘)
7 アイ電子(株)、(株)中京遊技の2社が新しく組合に
5 第3回「回胴式遊技機製造業者連絡会研修会」開催(グランドアーク半蔵門)
5 「パチスロの日」を記念日登録
2009
(平成21年)
12 第2回「回胴式遊技機製造業者連絡会研修会」開催(グランドアーク半蔵門)
10 「回胴式遊技機製造業者連絡会研修会」開催(警察庁保安課長来賓)
9 ICタグ導入、新封印シールの運用開始
3 「回胴式遊技機製造業者連絡会設立大会」開催
2008
(平成20年)
12 量産用チップ自社焼付けを実施
5 回胴遊商によるパチスロの認定作業が本格始動
4 (株)SNKプレイモア、日電協に
2007
(平成19年)
10 パチスロが4号機から5号機に完全移行(5号機の日電協封印シールが変更になる)
5号機についての市場調査を実施
7 健全化委員会の下に「リサイクル担当者会議」を、技術委員会の下に「ゴト専門委員会」を設置
5 日電協7代目理事長に里見治が就任
2006
(平成18年)
10 「手軽に安く遊べるパチンコ・パチスロ」キャンペーン開催(池袋サンシャイン60)
8 (社)遊技産業健全化推進機構設立
6 (株)スパイキーおよび(株)ヤーマ、日電協に
4 回胴遊商によるパチスロの中古移動が本格始動
2005
(平成17年)
4 (株)トリビー、日電協に
2004
(平成14年)
7 風営法改正(4号機から5号機へ)
6 サミー(株)の「北斗の拳」販売台数60万台突破
4 5号機
KPE(株)および(株)ジェイピーエス、日電協に

5号機 2004~

2004年に射幸性の低減と不正排除を目的とした、風適法の遊技機規則の改正が行われましたこれにより「4号機」では有効だった機能の多くが禁止となり、遊技機の出玉性能に大きな影響(射幸性の低減)を与えました
大幅な規則の改正のため、各メーカーとも適合が受けられる遊技機の開発に苦戦しましたが、2005年、(株)ビスティより初の「5号機」として「新世紀エヴァンゲリオン」が発表されましたしかしこの時点では、まだ「4号機」の設置が許されていたため、「5号機」の普及は遅々として進みませんでした(2007年までの3年間、「5号機」への移行猶予期間が設けられていました)
2006年に行政機関の主導により、全国的なみなし機の完全撤去が行われましたこれにより市場から多くの「4号機」が撤去されるに伴い、各メーカーから趣向を凝らした「5号機」の発表が本格的となりました
しかしながら「4号機」から「5号機」への移行は、パチスロファンのパチンコへの流出を許す結果となり、各メーカーのパチスロの魅力再構築へ向けた挑戦がつづいています

〈ホールの店舗数と回胴式遊技機の設置台数〉
2004年 15,600店舗 188万台(4号機のみ)
2006年 14,600店舗 200万台(4号機・5号機混在ピーク)
2008年 12,900店舗 144万台(5号機のみ)
2003
(平成15年)
3 日電協セキュリティー総合管理システムの運用開始
2002
(平成14年)
8 「パチンコ・パチスロ産業フェア2002」が幕張メッセで開催、19社出展
7 適度な射幸心を保持するため、日電協の自主規制を発表
4 「封印実施に関する規則」を制定、4月1日から自社封印スタート
3 30φ用主基板の出荷時に本体「かしめ」を実施
2001
(平成13年)
10 (株)オーイズミおよびニイガタ電子精機(株)、日電協に
3 サミー(株)、東京証券取引所第1部に上場
2000
(平成12年)
11 日電協、組合創立20周年記念式典開催
5 日電協6代目理事長に國嵜隼任が就任
3 高砂電器産業(株)、東京証券取引所第1部に上場、大阪証券取引所第1部に指定替え
2 「パチンコ・パチスロ産業フェア2000」が幕張メッセで開催、20社出展
1999
(平成11年)
12 サミー(株)が店頭公開果たすパチスロメーカーとしては3社目
サミー(株)、液晶搭載のパチスロ発表
9 パチンコメーカーの(株)SANKYO、パチスロ市場に本格参入
6 山佐(株)、業界初の4リール機を発表
回胴遊商、不正機排除のための「健全化対策要綱」制定
5 豪州のスロットマシンメーカー(株)アリストクラートジャパンが、日電協への承認される
警察庁が平成10年末の「風営白書」発表、パチスロは史上初の100万台に達する
4 回胴遊商、設置業者の明確化を図るため4月1日から「確認シール」スタート
1 サミー(株)、業界初の8ライン機発表展示会開催
1998
(平成10年)
9 アルゼ(株)、株式を店頭公開、パチスロメーカーとしては2社目
CT機、A-600、7ラインなど新ジャンルのパチスロ、続々登場
8 改正風営法が公布、11月と4月の2回に分けて施行
7 回胴式遊技機商業協同組合(回胴遊商)となる
2 「パチンコ・パチスロ産業フェア'98」開催2メーカーが初の「CT機」展示し好評博す
1997
(平成9年)
8 沖縄仕様メダル30φのパチスロ、東京都内にお目見得し人気を博す
5 東京・品川のホテルパシフィックで「パチンコ・パチスロの新型機展示会」開催パチスロはCT機の試作機が登場しかし市場化には至らず
1996
(平成8年)
10 日電協が自主規制機「チャレンジタイム(CT)」の開発構想発表
5 高砂電器産業(株)、大阪証券取引所第2部に上場パチスロメーカーでは初めて
3 富山県に2,000台の大型店出現、パチスロは320台設置される
ベルコ(株)が日電協への承認される
1995
(平成7年)
12 英国系企業のバークレスト(株)、日電協への承認される
日電協、16条からなる「健全化対策実施要綱」を発表
6 「型式検定に関する規則」一部改正「取扱説明書」「諸元表」の添付義務付け
1994
(平成6年)
6 回胴式遊技機販売商業会(回胴遊商)、メーカー・販社など142社がし設立総会
5 日電協が第14回通常総会で、6月から3号機の製造・販売の中止を決める
「ニューパルサー」パチスロ市場を席巻
1993
(平成5年)
12 エレクトロコインジャパン(株)、日電協が承認される
4 山佐(株)の「ニューパルサー」、(株)メーシー販売の「トロピカーナ」、アイジーティージャパン(株)の「ベガスガール」が4号機(新要件機)として検定合格いよいよ4号機時代が本格化
1992
(平成4年)
9 米国系企業のアイジーティージャパン(株)、日電協への承認される
メダル工業会によるメダル補給用器具の保通協での試験体制がスタート
6 4号機
英国系企業のエレクトロコインジャパン(株)初のパチスロ「チェリーバー」発表実際には12月に検定合格となるが、初の4号機の誕生

4号機 1992~

「3号機」の規制により、パチスロは健全な娯楽マシンへと導かれる予定でしたが、厳しい規制が皮肉にも不正改造機を繁殖させてしまうことになりますそこで1992年、大規模な規定改正が加えられた「4号機」時代に突入します
パチスロ各メーカーは、「4号機」という新たな規制をクリアするため開発努力を重ね、2年という月日を費やすことになりますそしてこの努力こそが、パチスロを単なるギャンブルマシンから真の娯楽マシンへと進化させるきっかけとなったのです
「4号機」となったパチスロは劇的な進化とともに、急速にファン層を広げてゆきますリプレイハズシなど、技術介入の余地をゲーム性に取り入れることにより、テレビゲーム世代の若者を獲得さらに完全告知機の出現により、年配のプレイヤーにも安心して楽しんでいただけるようになりました
1999年後半には、液晶を搭載したパチスロが登場リールに連動して繰り広げられる大興奮の液晶演出がプラスされたことにより、パチスロは名実ともに真の娯楽マシンとしての地位を確立しました

5 日電協5代目理事長に横内基康が就任
4 日電協、市場に出回っている75万台のパチスロの改修・点検を実施
2 九州・福岡で台数500台のパチスロ専門店誕生
1 全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)となる
1991
(平成3年)
8 「'91パチンコ博イン・大阪」開催パチスロは8メーカー10機種の3号機が展示されるカード式のパチスロも参考出展されたが実用化には至らず
2 日電協が4号機の機械基準の「内規」発表1ゲーム4.1秒や1分間に2回のリプレイ、ビッグボーナスは6回から8回などが主な改正点
1 全日遊連、パチスロの台数自主規制決める単独店の上限は120台パチンコとの併設は3割まで
1990
(平成2年)
12 3号機
日電協、組合創立10周年記念式典開催、併せて記念誌を発刊
パチスロ3号機時代がスタート

3号機 1990~

「2号機」で採用された集中役は、優れたゲーム性でプレイヤーを楽しませる反面、強烈なギャンブル性で射幸心を煽るだけのパチスロも生み出すこととなります
過激なマシンの台頭は、やがて関係機関を規制強化へと動かせることとなり、1990年「3号機」と呼ばれる新たな規格が制定されますこれにより集中役の取り扱いが厳しく制限されるなど、「2号機」で広がったゲーム性の幅は一気に狭められました「3号機」時代の突入により、パチスロ各メーカーは、新たなパチスロの魅力づくりに取り組むこととなったのです

11 遊技場メダル自動補給装置工業会(メダル工業会)の設立総会が開かれる
10 新風営法の規則の一部が改正され施行
9 日電協が全国遊技機組合連合会(全機連)に
九州遊商主催による「'90九州パチンコ産業展」開催パチスロも出展
景品最高限度額10,000円になる
東日本遊商主催による「'90パチンコ産業展」が東京・晴海で開催
1989
(平成元年)
11 兵庫県青年部主催による「パチスロ新機種発表展示会」開催日電協も協賛し、19メーカーが出展
7 (社)日本遊技関連事業協会(日遊協)が認可される
5 全日本遊技業組合連合会(全日遊連)発足
4 世界デザイン博「パチンコ・パチスロおもしろデザイン館」の展示に協力しパチスロ2号機を展示
1988
(昭和63年)
9 日電協4代目理事長に飯田蔵太が就任
2 2号機
パチスロ2号機が検定合格し、2号機時代スタート
広島で「パチンコ機器ビッグフェア」開催、パチスロメーカーも9社が出展

2号機 1988~

パチスロをパチンコと肩を並べる娯楽マシンに育て上げるため、日電協をはじめ各メーカーは、関係機関に働き掛けます度重なる折衝を経て、一部の規定改訂が認められ、1988年2月、「2号機」検定をクリアしたパチスロが登場「2号機」時代がスタートします
「2号機」では、遊技メダルを50枚まで貯留することが出来るクレジット機能が認められたため、これまでのパチスロと比べ格段に操作性がアップしました
さらに、集中役の導入も認められたため、ゲーム性に関してもより魅力的に進化プレイヤーは、「A」「B」「C」と呼ばれる3タイプのゲーム性の中から好みのパチスロを選んで楽しむことができるようになりました

1987
(昭和62年)
1.5号機
日電協が主基板の封印作業体制の拡充図る
パチンコ産業最先端機器フェアが大阪で開催
台湾でパチンコブーム起こる

1.5号機 1987~

ギャンブル性よりも遊技性の充実へと変貌を遂げた「1号機」の誕生により、徐々にファンを増していくパチスロ
しかし一方では、おとなしくなった「1号機」に物足りなさを感じる者により、不正改造が施されたパチスロが大挙出現しますこのような事態を打開するため、1987年「1.5号機」として、既存のパチスロが不正改造されないよう改造防止対策作業が行われました
2月から始められた封印などの改善作業は、年内に完了しました

1986
(昭和61年)
11 全遊協20周年記念大会に併せ、東京・赤坂プリンスホテルで日電協・日本遊技機工業組合(日工組)合同の展示会開催
4 全国ホールの既存パチスロの「健全化」のための基板封印作業実施
1985
(昭和60年)
10 日電協主催でメーカー21社参画のもと、東京タワーボウルにて「第3回オリンピアマシンショー」開催新要件機の1号機が初お目見得となる
9 兵庫県青年部主催による「新型パチスロ機展示会」開催
7 日電協3代目理事長に柿内正憲が就任
2 1号機
新風営法が施行され、(財)保安電子通信技術協会(保通協)による型式試験がスタート
これにより事実上のパチスロ1号機スタート
遊技料金がメダル1枚あたり全国一律20円となる

1号機 1985~

1980年、CPUとステッピングモーターを導入することにより、これまでの問題を解消した「パチスロ パルサー」が(株)尚球社により生み出されますこの「パチスロ パルサー」こそ、パチンコ型スロットとして同年警視庁より認可を受けた、日本初のパチスロとなります進化したパチスロはコンパクト化も実現したため、ホールへの設置が容易になり、急速な勢いで日本全国に拡がり始めます
やがて1985年に新風営法が施行されると同時に、保通協の検定制度がスタートしましたこれにより、保通協による検定をクリアした「1号機」が誕生することとなります「1号機」は、ギャンブル性の高さが問題となった「0号機」とは異なり、1回の大当りにつき360枚程度の払い出しを行う「ビッグボーナス」を考案、採用することにより、「0号機」の強烈なイメージを和らげる役割も果たしました

景品最高限度額3,000円になる
1984
(昭和59年)
8 新風営法公布
3 日本電動式遊技機特許(株)の設立総会が開かれる
1983
(昭和58年)
8 4年ぶりに「パチンコショー」が九州で開催
全国のパチスロ設置台数は9万7,147台(回転式遊技機含む)
1982
(昭和57年)
11 九州・福岡で「オリンピアマシンショー」開催
10 日電協主催による「第2回オリンピアマシンショー」がメーカー20社の出展で東京タワーボウルにおいて開催
1981
(昭和56年)
12 日電協、東京通産局から事務所移動認可受ける
10 大阪・貿易センターで「第1回オリンピアマシンショー」開催
パチスロの全国での設置台数は2万4,000台(回転式遊技機含む)
9 「オリンピアマシンショー」が東京・上野タカラホテルにおいて開催
1980
(昭和55年)
12 日電協2代目理事長に吉武辰雄が就任
10 企業10社のもと、日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)の創立総会が開かれる
日電協初代理事長に濱野凖一が就任
パチンコのフィーバー機登場、ブーム到来
パチンコ型のスロットマシン、いわゆる「パチスロ」を開発
  景品最高限度額2,500円になる
1977
(昭和52年)
  景品最高限度額1,500円になる
現在のパチスロの元祖とも言える3メダル5ラインの風営法認可のスロットマシンが大阪に登場
テレビ付きパチンコ・スロットマシン付きパチンコなどが初登場
遊技場経営者のための専門学校が開校される
1973
(昭和48年)
  景品最高限度額1,000円になる
1968
(昭和43年)
  景品最高限度額500円になる
1965
(昭和40年)
  0号機
風営法認可による1メダル1ラインのオリンピアマシンが登場
店舗の大型化が顕著になる

0号機 1964~

「0号機」とは、1985年に施行された新風営法の認可を受ける以前に誕生したスロットマシンを指します
さて、今日のようなスタイルのパチスロが生まれる第一歩は、1964年にまで遡りますアメリカ製のスロットマシンにストップボタンを取り付けるなど、日本独自の改良を加えた「オリンピアマシン」が同年に誕生しました
「オリンピアマシン」とは、この年に開催された東京オリンピックにちなんでつけられた名称で、この当時に登場したスロットマシンを総じて「オリンピアマシン」と呼んでいます
その後、機械的・遊技的にも問題の多かった「オリンピアマシン」に変わり、1977年に(株)マックス商事より3メダル5ラインの「ジェミニ」が登場します「ジェミニ」は「ボーナスゲーム」という斬新なゲーム性を搭載したことにより人気を博しますが、構造上ボーナス絵柄を狙い打ちされるという弱点を抱えていたため、遊技機の主流になることはありませんでした